2015年10月29日
曽我和弘のBAR探訪記 「噂のバーと、気になる一杯」
酒を楽しみたい・・・。そう思ったとき、人はバーという止まり木を探す。そしてバーテンダーと話をしながら酒なる嗜好品を味わっていくのだ。そんな酒の文化を創り出してきたバーも千差万別。名物のカクテルで勝負している店もあれば、バーテンダーの人柄や店の雰囲気で人を集めているところもある。数ある名物バーを探し、今宵はコレを飲んでみたい。
港区・新橋 BAR P.M.9(バー・ピーエムナイン)
まるで異空間だ。烏森神社の門前に広がる宮脇通りを歩き、その中にあるバー「BAR P.M.9」に入った時にそんなことをふと思った。JR新橋駅前に位置する烏森神社は、商売繁盛でも知られる稲荷神社の社。その昔は烏森稲荷社と名乗っていたそうで、江戸期にはここの祭りが江戸一、二といわれるほどの賑わいを誇っていたようである。明暦の大火は江戸の三大大火に数えられ、この火事で江戸中が焼け野原になったことから飲食店の先祖とも呼ぶべき奈良茶飯屋ができたわけだが、そんな大火の際でも不思議と烏森稲荷社だけは類焼を免れている。
そんな謂れのある神社の一角は、思わず京都の町並かと思うほど昔の風情が溢れているのだ。この横丁を一歩出ればビル街。ビジネスマンが足早に歩く風景に出くわすのだから、私が異空間と感じたのもわかってもらえるだろう。
烏森神社の門前町というべき宮脇通りは、京都を連想させるぐらいだから当然和の趣が強い。その一角にある「BAR P.M.9」は、町家を改装した店。京都でなじみのある和的バー空間を持っている。この店舗を営むのは、三好能久さん。大阪出身で、銀座の「絵里香」で修業を積み、2010年に独立してこの場所でオーセンティックバーを構えた。
三好さんに話を聞くと、「偶然、この場所に空き店舗があることを知り、この通りに融合させるべく和のバーを想定した」らしい。「絵里香」を辞し、和の趣のあるバーを始めるべく、京都を歩いた。三好さんひとりではなく、設計士を伴い、参考にすべき祇園のバーで飲みながら東京らしからぬ一軒を造ったのだ。だから店に入ったとたん、このバーをイメージしたのだろう。カウンター6席にスタンディングが2~3人、それとグループ向けの二階のボックス席一つという小さなバーだが、三好ワールドに溢れており、実に居心地がいい。
前述したが、三好さんは大阪の出身である。上新庄という京都へ行くにも便利な地で育ち、学校を卒業するや否や、やはり仕事をするなら東京とばかりに上京した。当初はレストランバーのような店で二年程働いたそうだが、バーテンダーへの憧れは高まるばかりで、ついに名門バーの門を叩いた。三好さんが修業をした「絵里香」のマスターは、中村健二さん。激戦区銀座にあって第一線で走り続けて来たベテランバーテンダーである。「全てに影響を受けた」と三好さんが語る中村師は、仕事には厳しい人だったそうだ。「とにかく家族を思いやれ」が口グセで三好さんにもそのことを滔々と説いている。中村師が口すっぱく言ったその言葉の裏に、「親や家族を大事にできない奴が顧客を大切に思えるわけがない」との思いがある。そんな中村師のもとに10年いたわけだから、三好さんは「師匠には技術だけでなく、人間性を磨かせてもらった」と話している。
三好さんが入門する時に中村師は「10年はいなさい」と言ったそうだ。その答えを私なりに解釈させてもらえば、「そのくらいひと所にいないと深い部分はわからない」ではなかろうか。師の言葉よろしく、三好さんは「絵里香」で10年働いた。そして30歳を過ぎた頃に店を辞し、自分の店を持ったのである。
「BAR P.M.9」がある場所は、以前は寿司屋だった。その店が向かいに移ったため貸店舗になり、独立をしようと思っていた三好さんの目に偶然留まったというわけだ。和の趣は残しているといいつつも寿司屋とバーでは180度雰囲気が異なる。だから相当手を入れて改装を試みた。「改装前を思わせるのは、階段横の柱ぐらい」と言うからかなり変わったのだと思われる。聞けば、入口の位置も違えば、カウンターの向きも逆だとか。「以前は梯子のような急な階段があったんですが、それをなだらかな階段に替え、回り込まずに階段まで行けるようにと、カウンターの向きを変えたんです」。だから寿司屋の時は、カウンター内側の方に客席があったのだ。「こんな風に変えるには、大工任せにせず、私も意見を出しました。だからこの店は、私と設計士、大工という具合にみんなで造ったんですよ」。
「P.M.9」という看板とは裏腹に、このバーは早い時間から開いている。だから私のような日帰り出張者でもここで酒を愉しむことが可能なのだ。ではなぜ店名が「P.M.9」なのかといえば、三好さん曰く「午後9時がバータイムを愉しむ一番いい時間」なのだそう。このように語ってくれたが、話をつきつめていくと意外にも「思いつかなくて悩んだ末に名づけた」とのこと。私のような一見客にこのように本音を語ってくれるのだから、このバーが居心地のいい店だということはわかってもらえるだろう。
午後4時半という早い時間に「BAR P.M.9」のカウンター席に腰を降ろし、私は何を飲んでいるのかというと、この9月に発売したばかりのウイスキー「知多」である。「知多」はその名からわかるように、サントリー知多蒸溜所でつくられたもの。シングルモルトではなくシングルグレーンウイスキーで、サントリーでは11年ぶりの新ブランドとなる。「BAR P.M.9」は、町家のイメージを残しているだけにジャパニーズウイスキーに力を入れている。棚には「山崎」「白州」「響」といった日本のウイスキーが並び、その続きとして「知多」がラインナップされている。知多蒸溜所では、とうもろこしを原料としたグレーンウイスキーが製造されており、これまでもその原酒が「響」などのブレンデッドウイスキーに活かされてきた。同蒸溜所の連続式蒸溜機から生み出される製法の違いによる3タイプの原酒や、熟成する樽の違いによる複数の原酒など、多彩な原酒がブレンダーの手によってブレンドされ、「知多」が生まれる。同蒸溜所ならではのグレーン原酒のみで構成したのが、この新ブランドなのだ。
三好さんはこの「知多」を高く評しており、「軽やかで穀物の味わいがある」と表現している。その穀物の味が甘さにつながり、「知多」を強く印象づけているのだ。三好さんのオススメはロック。グラスに角氷を入れ「知多」を30ml注ぎ、2~3回ステアして提供するのだが、この飲み方の方が穀物の風味が出やすく、甘さも出やすいと説明している。「個人的見解ですが」と前置きした上で「ストレートよりロックの方が、冷えることで喉越しが良くなります。ステアは少なめがベター。あまり多く回しすぎると、水っぽくなるので軽く冷える程度で出しています」と言う。あとは飲んでいくうちに温度の変化を楽しんでほしいとの狙いもあるのだろう。
私は以前、別のバーで「知多」のハイボールを飲んだ。その時はバーボンに似た味わいだと感じたものだ。そのことを三好さんに告げると、「それが私の言う穀物の甘さなんですよ」と言う。「でも、バーボンほどクセがなく、軽やかなのが『知多』の特徴。だから飲みやすいんですよ」と付け加えてくれた。
「BAR P.M.9」でもことさら「知多」は好評なようで、注文の入らない日はないそうだ。三好さんにとってもストーリーがしっかりあるので薦めやすいのだとか。「いつもコレが『響』の柱になっているんですよと説明するんです。今はシングルモルト流行りで、お客様にとってグレーンはとらえにくいようなのですが、きちんと説明すると理解してくれて、興味を持ってくれますね」。注文した人の反応は、まず第一印象が「甘いね」と表現し、そして特徴の軽やかさを指して「飲みやすい」と言ってくれる。そんな時に三好さんは「知多」が多くの人に受け入られる酒だと実感するらしい。バーボンのように樽の内側を焦がしていないから強くなく、飲みやすいことを説明しながら薦めていく。自身「酒と空間の仲介者でいたい」と願う三好さんらしいウイスキーの提供方法だ。
ところで「BAR P.M.9」を書く上で言っておきたいことがある。三好さんは「バーの空間を愉しむのだから顧客もそれなりのマナーを守ってほしい」と話している。例えば、カウンターは酒やグラスがあるべき場所なので、いらぬものは置かないで欲しいと言う。店に入ったら帽子を取るのは当然のマナーだし、パソコンなどを置いてそれをしながら飲むのもNG。そういった理由からカウンターに四人並ぶのは避けたいそうだ。仮に四人で来店したなら二階のボックス席に通すようにしている。これも狭い空間なので少しでもいい雰囲気で飲んで欲しいとの配慮から。つまり自分中心に物事を行うのでなく、他の人のことも考えてバータイムを愉しんでもらいたいとの心優しさが宿っているのだ。このように書くと堅苦しい店のように誤解されるかもしれないが、決してそうではなく、この小さな空間の中でいかに酒と接してもらうかを三好さんは常に考えている。
さて夜の帳が下りる頃になった。そろそろ私も関西へ帰らねばならない。「知多」を愉しんで後髪引かれる思いで勘定をしてもらった。今度は泊りがけの時に来てみよう。そう心に決めて横丁に出た。
住所東京都港区新橋2-15-13
TEL03-3509-9720
営業時間16:30~24:00
定休日日祝日