【セミナー/イベントレポート】グレンフィディックが130年間守り通してきた一人の男のクラフト哲学

ウイスキー業界のトップを走り続けるシングルモルトのパイオニア

すべての品質管理を任された6代目マスターブレンダーが初来日

自らの手で蒸溜所を建設し、中古の設備に財産をつぎ込み、家族と共に優れたウイスキーを作った男がいる。彼の名はウイリアム・グラント。現在、世界180ヵ国以上で販売されているウイスキーブランド『グレンフィディック』の創業者である。
スコットランドのダフタウンに工場を構えるグレンフィディックは、今年で創立130年を迎える。その間、会社の経営はウイリアム・グラントのファミリーが担い、ウイスキーの品質は6人のマスターブレンダーによって管理されてきた。
そんなグレンフィディックのブランドセミナーを行なうため、この度、6代目マスターブレンダーのブライアン・キンズマン氏が初来日。同ブランドの歴史や信念、特徴的なウイスキーの製造工程にいたるまで、その魅力を余すことなく語った。

1世紀以上に渡って受け継がれる不変のクラフトマンシップ

ウイリアム・グラントがウイスキー作りを始めたのは1886年のことだった。地元の蒸溜所に20年勤めていた彼は、そこでウイスキー作りのノウハウを学び、自ら新しいウイスキーを作ることを決意。そして、ひとりの石工職人と共に、自らの手で蒸溜所の建物を作り始めたのである。
妻と9人の子ども達に助けられ、ウイリアムの蒸溜所は1年後に完成した。彼は中古の設備を調達し、早速ウイスキー作りに着手。蒸溜器から最初の一滴が生まれ落ちたのは、クリスマスのことだったという。こうしてグレンフィディックの歴史は静かに幕を開けたのだ。
ウイリアムのクラフト哲学はとてもシンプルだった。ウイスキー作りの全過程で、純粋なハイランド地方の水を使うこと。蒸溜器は小さいままで、火力過熱すること。昔のまま伝わる熟練した匠の技術を使うこと。樽の中で何年も熟成させること。こうした昔ながらの手法を大切にすることで、グレンフィディックのウイスキーは人々から絶大なる信頼を勝ち取った。
グレンフィディックでは、今でもこの哲学が守られ、当時と変わらぬ製法でウイスキー作りが続けられている。

技術や哲学を継承するために有効な〝家族経営〟

現在、グレンフィディックの蒸溜所はグラント家の5代目によって運営されている。創業から一貫して続けられる〝家族経営〟というスタイルについて、現マスターブレンダーのブライアン氏は次のように話した。
「我々ウイスキー作りをする会社にとって、家族経営というスタイルはとてもフィットしていると思います。なぜなら、家族経営というのは長期的な目線でビジネスを考えるものであり、ウイスキー作りも長期で考えなければならない仕事だからです。長期目線で考えるからこそ、技術も哲学もしっかりと次に繋げていこうという発想が生まれます」
つまり、家族経営だったからこそ〝長期目線で考える〟という意識が高まり、結果として当時からの技術や哲学が今日まで受け継がれてきたというのだ。
ただし、ここでいう〝家族〟とは、決してグラント家だけを指している言葉ではない。ブライアン氏が、蒸溜所の職人について語る際に「彼ら」ではなく「我々」という言葉を使うことや、その職人たちを終身雇用している点からは、すべての従業員を〝家族〟として捉えている様子が伺える。
グラント家が130年に渡って続けてきた家族経営は、一族の地位や名誉を守るためではなく、家族の一員である職人たちと共に優れたウイスキーを作り続けていくための方針だったのかもしれない。少なくとも、伝統的な技術を引き継ぐ職人がいなければ、グレンフィディックのウイスキーが存続できなかったのは疑いようのない事実である。

一貫して守られるウイスキー作りの〝製法〟と〝姿勢〟

経営スタイルの解説に続き、話はウイスキーの製造工程へ。
ブライアン氏が「歴代のマスターブレンダーたちは、130年間変わらず、ウイスキーのクオリティを保ってきた」と述べているように、グレンフィディックのウイスキー作りは、創業当時と変わらぬ製法が継承されている。工場の近くで湧き出るロビーデューの水を使うことや、じっくりと丹念に濾過することはもちろん、蒸溜釜に関してはウイリアム・グラントが1886年に中古で購入した物とほぼ同じ寸法で再現されたものを使用するという徹底ぶり。ここにも、創業者に対する強いリスペクトが汲み取れる。
グレンフィディックウイスキーの特徴ともいえるフルーティーなフレーバーは、発酵の過程で生まれる。麦芽と水を『マッシュ・タン』という発酵樽に投入して、糖化を促進。抽出された『ウオート』という液体を『ウォッシュバック』と呼ばれる木製の発酵樽に移し、さらなる発酵を促す。この発酵工程の中で〝酸〟が発生。これがフルーティーなフレーバーの素になるという。
発酵工程の後は、銅製蒸溜釜での蒸溜を経て、スピリッツが樽に詰められる。最近では珍しくなってしまったが、グレンフィディックでは今も自社で樽職人を抱える蒸溜所のひとつだ。「樽はウイスキーが何年にも渡って眠る大切な場所」との考えから、スピリッツだけでなく樽のクオリティも重視し、熟練した職人が樽の組み立てや修繕、さらには輸入樽の検査などを行っている。ここまで徹底した姿勢でモノ作りに向き合っているからこそ、グレンフィディックは唯一無二のウイスキーブランドであり続けられるのだろう。

時代を変えた世界初のシングルモルトウイスキー

1963年、グレンフィディックは世界で初めてシングルモルトウイスキーを発売した。
時代はブレンデッドウイスキー全盛期だったこともあり、周囲からは「無謀な行動だ」という意見が大半だったが、そんな予測に反してシングルモルトウイスキーはたちまち世界に受け入れられた。誰もが無謀だと嘲笑ったチャレンジが、新たなウイスキーシーンを生み出したのだ。これを境に、グレンフィディックは「シングルモルトウイスキーのパイオニア」と呼ばれることになった。
当時のレシピを元に復刻されたのが『グレンフィディック オリジナル』である。ブライアン氏の説明にもあったように、グレンフィディックでは創業当時と変わらぬ製法でウイスキーを作っている。しかし、60年代と現代では、使用される樽に違いが生じてしまう。当時はアメリカから輸入されたバーボン樽というのがほとんどなく、主にシェリー樽が使用されていたためだ。しかも、同じ樽を何度も繰り返し使用していたため、オークらしさが比較的柔らかいといった特徴があった。
このウイスキーを再現した『グレンフィディック オリジナル』は、フルーティーな香りが持ち味。口に含むと非常にデリケートな味わいで、甘みやモルトっぽさが感じられる仕上がりになっている。シンプルでありながら、当時を忍ばせる味わい深いテイストだ。

グレンフィディックが世界に誇る個性豊かなウイスキー

今回のセミナーでは『グレンフィディック オリジナル』以外にも、4つのウイスキーの試飲が行われた。
『グレンフィディック 12年 スペシャルリザーブ』は、グレンフィディックのシグニチャーとして位置づけられるウイスキー。仕込みや発酵に由来するフルーティーさと、滑らかで繊細なコクが特徴で、洋梨のようなフレッシュさが感じられる。最後には軽やかな甘さが広がり、深い余韻が残るのも印象的。同ブランドにおける他のウイスキーは、この12年物をベースに開発されているという。

続いて紹介されたのは『グレンフィディック 15年 ソレラリザーブ』。12年物よりも熟成期間が長い分、より複雑で、深みのある味わいが想像されるが、実際には良い意味で予測を裏切る味わいになっている。香りはどちらかというとスパイシーで、シナモンやナツメグのよう。口に含むと、ハチミツのようなトロッとした甘さが口の中に広がり、オークの凝縮感も感じられる。
12年物と大きく印象が違う理由は、製造工程にある。このウイスキーは、バーボン樽、ホワイトオーク樽、シェリー樽という3種の異なる樽で熟成されたモルトウイスキーを、『ソレラバット』という大樽の中で混ぜ、後熟させることで完成する。様々な種類のスピリッツを大樽に混ぜて後熟させるという手法は、シェリー熟成で用いられるものだが、これを初めてシングルモルトウイスキーに応用したのが『グレンフィディック 15年 ソレラリザーブ』だ。
ソレラバットの中で熟成させたウイスキーは、常に半分ずつしかボトリングされない。半分をボトリングすると、半分を注ぎ足すというサイクルで利用することで、味の一貫性を保っている。

ブライアン氏が「12年物のお兄さん的な存在」と表現するのは、『グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ』。洋梨のようなフルーツ感が特徴の12年物を、さらに6年間熟成させることで、焼き林檎のような濃厚なフルーツ感を生み出している。
味わいとしては、口の中がコーティングされるようなオークを感じ、続いて非常にドライなタンニン、最後に甘みが戻ってくるような贅沢なフィニッシュが楽しめる。

最後は、グレンフィディックのラインナップの中で最も甘みが強いという『グレンフィディック 21年 グランゼルヴァ』。ヨーロッパ産のシェリー樽とアメリカ産のオーク樽で熟成させた原酒をヴァッティングし、さらにカリビアンラムの樽に詰めて熟成させることで、バニラやキャラメルを感じさせるフレーバーに仕上がっている。
ブライアン氏からは、「カリビアンラムの樽を調達して、ウイスキー作りに用いたところ、グレンフィディックの特徴であるフルーティーなフレーバーと、カリビアンラムから生まれる甘みが素晴らしいバランスを生み出しました。早速、本格的な生産を開始するため、カリブに行ってみたものの、そこには我々が望むだけの供給量がなかったのです。そこで、我々はラムそのものを買ってきて、それを自分たち蒸溜所で樽詰めすることでカリビアンラムの樽を作りました」というエピソードが語られた。

自分たちが求めるウイスキーを作るために、樽すらも理想の状態に仕上げるという姿勢は、まさにすべての工程を自分たちで管理できる経営スタイルだからこそ成せるわざであり、創業者のクラフトマンシップが今に受け継がれている証拠とも言えるだろう。

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