2019年03月18日
世界で初めてシングルモルトを輸出し、"シングルモルトのパイオニア"として確固たる地位を築いたグレンフィディック。その歴史は、創業者ウイリアム・グラントの「鹿の谷で最高の一杯をつくる」という想いから始まった。
1886年の夏、ウイリアムは7人の息子と2人の娘と共に、自分たちの手でウイスキー蒸溜所をつくることを決意。家族総出でひとつひとつ石を積み上げ、1年がかりで完成させた蒸溜所は、ゲール語で「鹿の谷」を意味する「グレンフィディック」と名付けられた。
それから132年。グレンフィディックは今も変わらず"鹿の谷"でウイスキーをつくり続けている。
1963年には、ウイリアムの曾孫にあたるサンディ・グラント・ゴードンが、自慢のシングルモルトウイスキーを海外に向けて販売。ブレンデッドウイスキー全盛の時代に無謀な行動と揶揄されたが、見事シングルモルトウイスキーの魅力を世界中に広めることに成功した。
今では世界で最も売れているシングルモルトウイスキーとなったグレンフィディック。同社のグローバルアンバサダーとして活躍するストゥルアン・グラント・ラルフ氏が、ブランドの歴史や製法のこだわりについて語った。
グレンフィディックの蒸溜所があるダフタウンという田舎町で生まれ、幼少期からシングルモルトのウイスキーに対する情熱や愛情を持って育ってきたというストゥルアン氏。セミナーの冒頭では、グレンフィディックがシングルモルトウイスキーのパイオニアになることができた理由として、2つのポイントを挙げた。
「ウイスキー界におけるグレンフィディックの最も大きな功績は、シングルモルトウイスキーというカテゴリーを創造したことです。これを達成できた背景には、2つの重要なポイントがありました。ひとつは"受け継がれる挑戦心"、もうひとつは"つくりのこだわり"です」
1880年からの10年間、スコットランドでは実に200軒ものウイスキー蒸溜所が新設された。1887年に誕生したグレンフィディックは、そのうちのひとつに過ぎなかった。
当時、ウイスキーといえばブレンデッドの時代、シングルモルトは産地で楽しむ地酒といった立ち位置だった。スコットランドでは、ハイランドやローランド、アイラなど地域によって様々な個性を持ったウイスキーが誕生。それらをブレンドしたスコッチウイスキーは海外でも人気を博した。
しかし、1920年にはアメリカで禁酒法が制定。スコッチウイスキーも大きな打撃を受ける。その結果、1930年代には多くの蒸溜所が閉鎖に追い込まれることになった。
こうした状況下でもウイスキーづくりを続ける蒸溜所は、不景気の波を乗り切るために統合や生産制限という手段をとったが、グレンフィディックは独立性を維持。ウイリアムの孫にあたるグラント・ゴードンは、この苦境をチャンスに変えるべくあえて生産量を増大させ、需要復活の波をとらえることに成功した。
1963年には、自社のウイスキーの味わいに自信を持っていたウィリアムの曾孫サンディ・グラント・ゴードンが、初めてシングルモルトとしてスコットランド国外への売り込みを開始。依然としてブレンデッドウイスキーが主流だったため、周囲からは無謀な行動と揶揄されたが、ニューヨークで支持を集め、シングルモルトウイスキーの魅力を世界に知らしめた。
このように歴代の経営者が思い切ったチャレンジをしてきた背景には、家族で蒸溜所を築いた創業者からの"受け継がれる挑戦心"があったのだ。
グレンフィディックがシングルモルトウイスキーのパイオニアになることができた2つ目の理由として挙げられた"つくりのこだわり"について、ストゥルアン氏は次のように語った。
「私たちは、今も1887年と同じウイスキーづくりをしています。蒸溜所には6代目となるモルトマスターをはじめ、糖化と発酵のプロであるマッシュマン、蒸溜を取り仕切るスチルマン、豊富な知識と経験を持つ樽職人など、多くのプロフェッショナルがおり、古くからの伝統と技術を引き継いだウイスキーづくりを行っています」
ストゥルアン氏が言うように、グレンフィディック蒸溜所の歴史は、そこで働く職人たちと共に積み上げられてきた。蒸溜所で使われている銅製のポットスチルは、創業当時とまったく同じ形のものが使われているが、銅は柔らかく変化しやすい金属なので、手入れを行うための職人が常駐している。彼らは何代にも渡って受け継がれてきた知識や技術を駆使して、今も変わらず28台のポットスチルを大切に守り続けている。
つくりのこだわりは樽づくりにもはっきりと見てとれる。グレンフィディックは、敷地内にクーパレッジを保有している数少ない蒸溜所のひとつなのだ。そこにはもちろん経験豊富な樽職人がおり、ウイスキーの風味に大きな影響を与える樽の製造や修復作業にあたっている。
続けて、ストゥルアン氏は「グレンフィディックでは、ウイスキーづくりを科学と魔法の融合と捉えています」と説明。その上で、「材料を入れて、生成して、蒸溜するプロセスは科学的であり、最後にフレーバーが立ち上がってくる、熟成とブレンドのプロセスは魔法のようです。その魔法の使い手というのが、蒸溜所にいるつくり手たちなのです」と話し、職人たちへの敬意を示した。
ウイスキーのつくり方と同様に、グレンフィディックが重要視しているのが蒸溜所の場所。これについては「グレンフィディックの蒸溜所は鹿の谷に132年間あり続けています。ここは本当にたくさんの鹿が住む自然豊かな場所です。立地というのはウイスキーづくりにとって非常に重要なポイントで、特に水はウイスキーの命ともいえる大切な要素となります。グレンフィディックでは、創業当初からロビーデューの泉の水を使用しており、この水源を守るために周辺の土地も購入しています」と説明された。
こうした技術や伝統を継承している一方で、挑戦者の心を忘れずに革新的なウイスキーづくりを続けてきたことが、今日におけるグレンフィディックの世界的評価を支えている。
グレンフィディックの歴史とウイスキーづくりのこだわりの解説に続いては、6種類のウイスキーのテイスティングが行われた。
最初に紹介されたのは、同社のレガシーともいえる「グレンフィディック 12年 スペシャルリザーブ」。仕込み・発酵に由来するフルーティさと、バーボン樽とシェリー樽を用いた熟成モルトのヴァッティングによって生み出される滑らかなコクが特徴で、フレッシュな洋梨のような味わいが楽しめる。
続いては、ストゥルアン氏のお気に入りで、毎週必ず飲んでいるという「グレンフィディック 15年 ソレラリザーブ」。シェリーの樽熟成で用いられるソレラシステムを、初めてシングルモルトウイスキーに応用した、まさに"挑戦心"を体現した逸品だ。リッチな香りを生み出すシェリー樽、フレッシュな味わいをもたらすホワイトオークの新樽、はちみつやバニラのフレーバーを形成するバーボン樽で熟成させたモルトウイスキーを、ソレラバットという大樽で後熟することでつくられる。ソレラバットの中のウイスキーは決して絶やされることなく継ぎ足されていくので、円熟した味わいとなり、非常に長く豊かな余韻を楽しむことができる。
18年以上熟成されたスパニッシュオロロソシェリー樽原酒と、アメリカンオーク樽原酒をヴァッティングすることでつくられているのは「グレンフィディック 18年 スモールバッチリザーブ」。一度に約60樽という小ロットでつくることで、ひとつひとつを厳格に管理し、加熱したフルーツのような深く豊かな味わいを表現している。
「グレンフィディック 21年」は、最低21年以上、主にバーボン樽で熟成した後に、カリビアンラム樽で後熟することで仕上げたウイスキー。80年代から90年代にかけてモルトマスターが開発した逸品で、バニラやクリームを感じさせる香りと、スモーキーさと甘さを兼ね備えた重層的な味わいが特徴だ。
ストゥルアン氏が「我々の新しい試みです」と紹介したのは、「グレンフィディック IPA」。これはウイスキーの熟成に使用したアメリカンホワイトオーク樽にビールを詰め、3週間の熟成の後、再びウイスキー原酒を入れて後熟させるという前代未聞の手法でつくられた意欲作。ウイスキーの中に華やかなホップの香りを感じるという、"受け継がれる挑戦心"を持つグレンフィディックならではの商品だ。
セミナーの最後には、名前を隠された状態でスペシャルウイスキーとして「グレンフィディック 40年」が登場。最低でも40年、古いものだと1920年代のウイスキーをヴァッティングしてつくられた非常に貴重なウイスキーの登場に、会場からはどよめきが起こった。かつて使っていたというピート由来のスモーキーさや、40年前に主流だったシェリー樽が生み出す豊かな香りに、歴史と伝統が刻まれたような一杯だった。
テイスティングを終え、ストゥルアン氏は「世代を超えながら守ってきた伝統、その中でも挑戦を続けるというスピリットを持つグレンフィディックに、自分も身を置かせてもらっているということを光栄に思っています。今日は色々とテイスティングしていただきましたが、グレンフィディック15年、IPAに象徴されるような革新的な挑戦、それからグレンフィディック 40年が示す歴史と格式をしっかりと守り続けて、今後も豊かな環境と確かな職人技で最高のウイスキーづくりをしていこうと思います」と挨拶。
最後は「バーテンダーの皆さんのご支援無くしては、ここまでグレンフィディックが成長することはできませんでしたし、これから続けることもできません。グレンフィディックで一生懸命ウイスキーをつくっている全職員を代表しまして、この場で感謝を述べさせていただければと思います。ご支援いただきまして、ありがとうございます」と感謝を述べて、セミナーを締めくくった。
取材・文/阿部光平